9歳で宝塚の世界に出会い、12歳で完全なるヅカヲタになった話
私はヅカヲタのサラブレッドだ。
北陸のド田舎に生まれ育った私が9歳の頃、母が宝塚という底無し沼にハマった。
1997年月組全国ツアー公演『チェーザレ・ボルジア/プレスティージュ』を観劇し、トップスターになったばかりの真琴つばささんに恋してしまったのだ。
その恋の熱量は凄まじかった。
宝塚友の会はもちろんのこと、西と東両方の個人ファンクラブに入会。
月刊誌「歌劇」と「宝塚GRAPH」は定期購読。
マミちゃんが出演している作品のVHSは全て購入。
チケットの発売日は徹夜でぴあに並ぶ。
当たり前のようにムラと1000days劇場どちらにも遠征(どちらも片道3時間以上かかる)。
猛烈な勢いで過激なヅカヲタへと化していった。
母が暇さえあればリビングのテレビでVHSを再生しまくっていたので、小学生の私の脳内にも、サブリミナル的に宝塚の世界が刷り込まれていった。
最初は全員同じ顔に見えていたのが、少しずつ顔の見分けがつくようになり、主要なスターの名前を覚え、主題歌を覚え…
いつの間にか「お芝居・ショーの台詞と歌を全て覚え、一人で二本立て公演を再現できる」という、一般社会で生きる上ではマジで何の役にも立たない特技を身につけていた。
子供の吸収力すごい。
親の影響力ハンパない。
そんな感じで、宝塚歌劇が当たり前に生活の中にある環境で、私は育った。
私が12歳の時、マミちゃんが退団発表。
母はマミちゃんの男役集大成を目に焼き付けようと、遠方民ながらせっせと公演に通っていた。
そして、娘にも生の舞台を体験させたい!と、中学生になりたての私を兵庫県の宝塚大劇場に連れて行ってくれた。
記念すべき初観劇作品は、マミちゃんのサヨナラ公演、2001年月組公演『愛のソナタ/ESP!!』
『愛のソナタ』は東京宝塚劇場の柿落とし公演で、NHKで初日の模様を生中継されていたので、既に映像で予習済の作品だったのだけど…
生の舞台は、もう全っっっ然違った。
セットや衣装の豪華さ、オーケストラの生演奏、劇場中に響く歌声。
これまでテレビ越しでしか見たことの無かったタカラジェンヌが、目の前で生きて動いているということ。
あんなに美しい人たちが、歌、踊り、演技全てをこなしている。
テレビドラマみたいに撮り直しなんてできない、一発勝負の世界。
舞台の世界ってすごい。舞台人ってすごい。
めちゃめちゃ感動して、鳥肌が立った。
中学生ながらお芝居の脚本には言いたいことが山ほどあった(マミちゃんファンだった母はなおのことだろう)けど、終演を迎える頃にはすっかり宝塚の虜になっていた。
こうして、12歳のヅカヲタが誕生した。
すっかりハマってしまった私は、母が買い揃えていた月組公演のビデオを貪るように見た。
そしてついに、運命の「ご贔屓」に出会う。
2001年月組公演、マミちゃんのプレサヨナラ公演『Practical Joke(ワルフザケ)ってことにしといてくれよ』でマウロを演じていた、霧矢大夢さん。
黒髪短髪で、ツンとした上向きの鼻で、目を惹く容姿だなと思った。
芝居の間の取り方が良いな、笑いを取るのが上手いなと思った。
マウロはマフィアの下っ端で、ワルなんだけど真面目で、アツい男。
当時の霧矢さんの持ち味にピッタリハマっていて、本当に生き生きと演じていて。
すごく魅力的で、どんどん引き込まれて行った。
お芝居のラスト、シビさんとマミちゃんとのシーンで、少しだけソロで歌ったその歌声があまりに素敵で、心が震えた。
そして極め付けは、フィナーレのソロダンス。
舞台の端から端まで、エネルギッシュに弾けて踊りまくる姿を見て、雷に打たれたような感覚に陥った。
一生もののトキメキに出会った瞬間だった。
その日から19年ほど経った今も、私は霧矢大夢さんに夢中だ。
そしてもちろん、宝塚歌劇の世界にも夢中だ。
こんなに長いことハマり続けられる趣味に出会わせてくれた母には感謝しかない。
そんな宝塚への想いとか、今も愛してやまない霧矢大夢さんへの想いとか、いろいろ吐き出す場としてこのブログを開設しました。
10年以上前の作品を今やってる演目かのように語ったりすると思うので、おいおいおかしな奴だなと感じるかと思いますが、よろしくお願いします!